disc reviewkarateを見たか、見てないかしか人生はない
imakinn recordsプレゼンツ、karateジャパンツアーが今日から始まりました。
21年越しの来日、おそらく次は無いのではないか?そんなツアーだと思います。僕は残念ながら、karateを聴いてこなかった側の青春でした。10年ほど前、大学生の頃はエモとポストハードコアが大好きで名古屋の某レコード屋に入り浸り、共通の趣味の先輩たちにたくさんの音楽を教えてもらいました。
当時karateは再発もなく音源自体の入手が困難で、また、文脈で聴くものを広げていくこれらのジャンルの聴き方もあって、karateまで辿り着くのは少し難しかったように感じます。おそらく先輩方はみんなkarateを聴いていたんだろうけど、karate自体が特異的すぎて、どことも明確な文脈のつながりを感じ取れず、それゆえに先輩方のレコメンドから引っ張り出せなかったのではないかなと今は思います。
なので、僕は今回の来日のタイミングも、あのkarateが来るのか、くらいの気持ちでしたが、なんとなく直感めいた「これは見なければいけないライブになるだろう」という心の動きがあり、とりあえずチケットを取ったという次第です。
ライブが始まる前、タバコを吸っていると、「karateって、みんなひとりで聴いてた音楽だと思うし、だから今日もひとりで来ているお客さんがほとんどに見えて、それがすごくいい」というようなことを話している声が聞こえてきて合点がいった思いがしました。そして、今帰り道、受けた大きな気持ちの動きをゆっくり咀嚼するために無音のイヤホンを耳に突っ込みながら電車に揺られ、karateを思い出しています。
さて、あなたは今、丸い石が並ぶ広い河原に立っています。あなたは今、十数個分に分かれた気持ちの動きがあって、その数だけ、手のひらと心に馴染む収まりのいい石を拾っています。その手にすっと馴染んでずっと持っていたくなるような石、正円ではなく、単純な楕円でもない、少し形の歪んだ、でもまろやかで滑らかな石。その石の一つ一つが、ライブで聴けるkarateの一曲一曲です。
karateは、連綿と続く一筆書きの音楽でした。それぞれのパートが一つずつ手渡しで繋いでいくような、切れ目のないものです。深く、深くに重心があり、それは霞がかって見えるほど深いグルーヴがありました。
文末にビタ留めするベース、叙情と哀愁のギター、重く杭を打ち込むドラム、この三つが顔を見合わせながら主張し合うアンサンブルは、誰かが牽引しているような明確な主体がなく、まさに三位一体で分厚いものでした。一聴した音数の少なさから感じ取れるような緊張感は、その分厚さに全く包み隠してしまうようで、とても豊かで力強いアンサンブルです。完璧にコントロールされたダイナミクスも、楽器から出る音の一つ一つも、語られる言葉も確かに僕らに向かって飛んできているのに、演奏している3人の世界で完璧に完結していて、究極に内向の音楽です。
僕が具体的なことを書けていないのは、それだけこの体験が抽象的な価値によって成り立っているものだからです。なんか明瞭な言語化できるタイプの音楽じゃないかもですよね。
いや、本当に観に行ってよかった。死ぬまでこの豊かなライブのことを思い出せるなんて、なんとありがたいのか。
幸運なことに僕は初日を観に行ったので、この感覚をこうして文章にして人に伝えてもまだ間に合わせることができます。月並みではあるんですが、迷ってる人は必ず後悔しないものになると断言できます。この文章を見た人、良き機会にぜひ飛び込んでみてください!
どの日も対バンが素晴らしくて迷っちゃいますね。
ライブ詳細:https://imakinnrecords.blogspot.com/2024/12/karate-japan-tour-2025.html