disc review震えるガラスの瞳が見つめる、内向きの血潮の赤
Painting Of A Panic AttackFrightened Rabbit
イギリスはグラスゴーの5人組インディ・フォークバンド、Frightened Rabbitの通算5枚目となるアルバム。グラスゴーはFranz FerdinandやTravis, あるいはMogwaiの生まれた地でもあり、スコットランドのミュージックシーンの名門ともいえる土地だろう。初期の、UK独特の憂いを帯びたフィーリングと、泣き虫なボーカルの組み合わせが見せた、フォーキーで、牧歌的な雰囲気から、次第に内省的さと繊細さを強めていった彼ら。今年発売されたニューアルバム、”Paint Of A Panic Attack”は、新たに大胆にエレクトロニックなサウンドを取り入れることで、フォークという音楽が持つ、生命感、有機的さを当然下敷きとして、電子音の持つ無機質さが、冷たくも広がりを見せる、彼らの新たな世界を提示した。アルバムジャケットにもその変化は見てとれ、曇り空をバックに佇む灰色の建築物が、まるで墓標のように見えないだろうか。
グラスゴー・スクール・オブ・アートの出身だという、中心人物、Vo/Gt. のScottはインタビューで、Mogwai等の地元グラスゴーのバンド、あるいはWilco, Iron & Wine等のオルタナ/カントリーミュージックからの影響を語っており、アートとしてはダダイズムを好むと語っている。先述の、Frightened Rabbitにおける有機的要素と無機的要素の混在、あるいは融合は、音楽としてのカントリーミュージックの持つ温かみのある有機的成分と、精神性としてのダダイストの虚無性、否定から来る冷たく、繊細な無機的成分が彼の根幹を成していることによって説明がつくだろう。
今作は、そういったバランス感を保ちながらも、限りなく冷たい音楽へと歩み寄った作品だ。曲名にも、死や、それを暗示する言葉(=ジャケットの墓標のようなモチーフにもつながる)がちりばめられてる。それはもちろん、救いようのない暗闇ではなく、肯定的に捉えられ、楽曲も、差し込む陽光を感じさせるような、一縷のポジティブさを秘めており、冷徹な印象は決して受けない。このナイーブな方向性の転換について、Scottは、アメリカへの移住を原因として語っており、そこで感じた孤独や虚無感は、”found himself isolated among the faceless void of Los Angeles dickheads”という表現でインタビューにて語られている。(http://www.gigwise.com/features/106308/frightened-rabbit-interview-painting-of-a-panic-attack-national-tour)彼がこの孤独により受けた精神的圧迫や生活の変化(ベジタリアンになったり、タバコをやめたり)が、作品となったのが、この”Painting Of A Panic Attack(”パニック発作のついての絵画”とでも訳せるだろうか)”なのだ。
賛美歌のような神々しさと清廉さを持ってアルバムの冒頭を飾るのが、#1 “Death Dream”。続く#2 “Get Out”は女性二人の織りなす神秘的な日常を描くMVの魅力もさることながら、淡々としながらも叙情的な進行を、その詩的な歌詞とで紡ぎながら、縦割りのサビでアップダウンを設ける展開が繰り返し耳に入れたくなる心地よさを孕む。同じくMVの公開されている#4 “Woke Up Hurting”は、ダンサブルなパッドを用いたリズムと、ハンドクラップも合わせてシンガロング可能な、野外フェスのようなロケーションで非常に真価を発揮するであろう広がりのある楽曲だ。#9 “Blood Under The Bridge”はそもそもはWater Under The Bridgeというイディオム(橋の下を流れる水のように、起こってしまって変えられないもの)の言い間違いを発端とする言い回しをタイトルに用いており、今尚戦場で流れる血を隔岸観火の心持ちで見つめ、戦いから離れんとする兵士の精神性を描写することで、見事にこの言い回しにセンチメンタルな物語を意味付けしている。(僕のざっくばらんな和訳に基づいた考察であることを断っておく。)
感情、生活を染み込ませたリリカルな詞(UK的要素)とインディ・フォークのくくりで捉えられる、カントリーミュージックを発端とする広がりのある楽曲。
彼らのことをFleet FoxesとColdplayの間を埋めるバンドだと言ったレビューがあったが、実に的を射た言葉だと感じたので、ここでも使わせてもらおうと思う。