disc reviewonline interview cllctv. meets グッドバイモカ
コロナの渦に巻き込まれながらも、6/10に新アルバム『2020年のグッドバイモカ』をリリースした名古屋発東京在のポップス、グッドバイモカ。インタビュワーであるトモヒロツジとの関係も長くちょっと深い彼らに、満を辞してのインタビューを行いました!
今回のインタビューは彼らの希望もあり、チャットを使った半リアルタイムでのオンラインインタビューです。チャット独特の温度感も合わせてお楽しみください。
友達の家に遊びに行って、友達の部屋を開けたらアコギを弾く眼鏡の小さい男子がいた
ツジ:今日はよろしくお願いします!
池田:よろしくお願いします!
髙井:よろしくお願いします。
ツジ:というわけでまずは最初の質問として、グッドバイモカの結成から今に至るまでの話を聞きたいと思います。結成は 2011年とかそれくらいだっけ?
髙井:現在25歳で、高3の冬の時だったと思う。
池田:結成はね、バンドとしての結成は2012年の暮れかな、髙井と二人でやろうって話はもっと前で、高校1年生から連絡は取ってたと思う。
ツジ:なるほど。髙井と池田はもともとなんの繋がりだったんだっけ?
池田:高1の時に友達の家ではじめて会ったかな。その時俺はネットに歌詞を投稿していて、髙井は携帯小説を投稿してたので多分気が合ったんだと思う。
ツジ:きっかけは音楽じゃなかったんだ。そんな二人が音楽をやることになったのは何故なんだろう?
池田:ラブサイケデリコを俺がギター弾いて髙井がピンボーカルで歌うっていう謎のアコースティックデュオをやりはじめたんだけどそれは高1だっけ?それをやるきっかけを失念してしまっている。覚えてる?
髙井:友達の家に遊びに行って、友達の部屋を開けたらアコギを弾く眼鏡の小さい男子がいた、て覚えがあって、その日に好きな音楽の話もしてた気がする。きっかけ、、金山の路上でやろうという話になった覚えもある。
池田:それは高1?
髙井:高1。
池田:そうそう、それで金山の路上にストリートライブを二人で見に行って、地慕里ジャンクションっていう当時名古屋でやってたバンドを見たよね。
髙井:チボリジャンクション、いいバンドだった。そのあと中川コロナで待ち合わせて、公園で練習したあと池田んち行って、文庫本を借りたのが最後で、連絡を取らなくなった。
池田:恥ずかしかったんだよなー多分。そんで2年後の高3になった冬に、本当に前触れもなく髙井さんが突然貸した文庫本返しに来たんだよね。それで当時バンドやりたいなって思ってたから、丁度いいなと。
ツジ:なるほどね。ちなみにバンド始めるってなって他のメンバーはどうやって集めた感じ?
池田:初代ベースが榎吉くん、ドラムが田中くんっていて、それぞれ幼馴染と小学校からの同級生なんだけど、「サポートでいいから!」って言ってしぶしぶ入ってもらった。当時はその二人が池田髙井より全然音楽の知識あったな。
髙井:あった。普通に素直に尊敬するくらいには、わたし何も知らんかったし。
ツジ:そんな感じでとりあえずバンドができて。ライブハウスでライブするようになったのは何かきっかけがあった?最初からそれが目標にあったのかな。
髙井:5月にある学生EXPOっていう催しものを結構大きな目標にしてた覚えが。
池田:そうそう、当時名古屋学生EXPOっていう野外でバンドがやれるイベントがあって、当面それを目標にしてライブハウスで経験をつんで、って感じだった。初ライブが藤が丘MUSIC FARM、転機になったのがその次の新栄DAYTRIVE。終演後に当時のDAYTRIPの店長だった八木さんに呼び出されたんだよね、俺だけ。
髙井:呼び出されて、行きたくなくて池田だけ行かせた覚えあります、ごめんね。
ツジ:それが転機?
池田:あの人めちゃくちゃだから「○月○日にこれライブ出ろ」って初対面なのにいきなり言われて。それで、はい、はい、ってDAYTRIPにも出るようになって、そうなるとまた「出ろ」って言われる繰り返しだったからそこから予定してなかったライブがかなりの量になっていった。その中でツジとかとも会ったりして、バンドとしてのリズムが掴めたという感じ。
ツジ:八木さんには僕らもかなり世話になったけど、そうやって色々なバンドをライブハウスに引き込んで行ったんだろうね。一時期グッドバイモカとうちがそれぞれで自主企画打ちまくってた時期とかもあったし。DAYTRIVE、DAYTRIPは名古屋でのグッドバイモカの活動のかなり大きな部分だったと言えるんだろう。
池田:うん、そうだね。ホームと思える場所ができるって言うのはかなり心強かったな。
髙井:あんなに鶴舞に行くこと普通ない。
池田:壊れかけのテープレコーダーズと2マンしたり、広島のガール椿やにゃにゃんがプー呼んだりとか今じゃ逆に尻込みしちゃうような企画とか打ってたしね。
ツジ:特に壊れかけなんかは東京に来てから一層その大きさを知った感じがする。今でこそ東京だけど、やっぱりグッドバイモカを作り上げたのは名古屋だと再確認する。
池田:2014年とかの東京のオルタナティブシーンって本当に最高だったから、未熟なんだけどそこに対する意識はしてたというか、いつか挑戦するぞって気持ちはずっとあったけどね。
ツジ:それが東京に拠点を移すことにつながったのかな。東京に来たのは何年だったっけ。
池田:2017年の春かな。
ツジ:そうか、3年前だね。やっぱりそれは「東京のシーン」への挑戦的なものがあったんだろうか。
池田:…これは名古屋で主流の音楽シーンにいない人間は一度は感じることだと思うんだけど。なんか重たい空気というか、閉塞感があって、今だったら考え方も違うしやれることはたくさんあるんだけど。当時はムカついてたし焦ってたんだろうね。それでその時のベースの大学卒業を待ってこっちにきた。
髙井:その東京に行く、っていうのは池田が主導で、行く間際はバンドもだいぶ混沌としていて。行くのか行かないのか、って選択もだし、各々の生活も変わってきてる時だったのだけど。
ツジ:大きな選択だから、どうしても影響は出るよね。
髙井:色々あったなぁと思って。バンド活動すること自体が、わたし個人にとって重要なことだったし、企画の打ち方もそうだけど、自信だけはすごかったというのもあり、東京行くのにわたしはあんまり感情なかった。
池田:あとね、俺とか髙井は別にいいんだけどベースは就職蹴ったし、ドラムは講師の仕事蹴ったからね。まあそれなんだよね、自信がめちゃくちゃあったに尽きる。
ツジ:髙井と池田のエネルギーが他のメンバーも巻き込んで、その結論に至ったということなんだろうね。なんとなく名古屋の閉塞感というか圧迫感はあったのもわかるしね。内側がというのもだけど、メジャーなシーンへのちょっとした反抗心とか、そういった感情由来のエネルギーというか。そして、東京に来てライブを始めて。環境が変わって何か見えたものとかはあった?
髙井:まず、メンバーひとり増えたしね。
池田:とにかくライブをね、強くしないとと思って。
ツジ:東京という場所で戦っていくためには、という感じかな。
池田:そうだね、あとはその時は初期から抱えていた俺のポップス志向(嗜好)みたいなのをこじらせすぎて、もっと音楽としての完成度をとか思ってたかなあ。そのあたりから俺がピリピリしはじめてた気がする。
髙井:わたしは、正直、当時、リードギターが入ることにちょっと迷ってたなー。人と人、っていうのがあるし。いた方が見た目やバンドの人間関係的な方の纏まりは良くなるし、曲によってはリードギターがいるのが正解のもあったから、いらない!という程でもなかったけど、それを言えないくらいにはピリピリした空気に萎縮もしてたなぁと。
池田:当時のスタジオって一番ヤバい時、ドラムのスティックは飛んでくるわ俺が置いてあるカバン蹴るわむちゃくちゃだったから。
髙井:ていうか、池田スタジオこないしね。
池田:こないっていうか、完全にうつ状態で動けなくなってた。スタジオ2時間誰も喋らないし。
髙井:ここで、「就職蹴った」とか「ドラム講師蹴った」という事実が重くのしかかってたね、メンバーにもだし、選択させた側にも。
ツジ:それぞれに背負うものがあった上で、それでもやらなきゃいけない音楽っていうものには間違いなくキツさもあったんだろうと思う。もちろん、誰が悪いという話ではないのは大前提として。
池田:そんで解散ってなった。俺が抜けるって言い出したのが最初で。グッドバイモカやりたいなら勝手にやってくれ、俺はもう無理だって話をしたな。
髙井:それで、どうする?どうする?ってみんながなってたけど、わたしは絶対続ける、というスタンスだった。
ツジ:それは仮に池田が抜けることになっても、という?
池田:そう、髙井がやりたいなら引き継いでよっていう。むちゃくちゃな理論だけど。
髙井:どういう形になるかはわかってなかったし、途中池田なしでやるか?とか思ったけど、グッドバイモカはじめたのこの二人だし、そんなメチャメチャな状況でなんでもありなんだったら、池田はいてほしいなと思ったかな。いてほしいっていうか、おらんとかんよな、と。
池田:それで結局今の形になったかな。
髙井:チャンチャン!
ツジ:色々あったけど、こうして新しいアルバムがリリースできたのは喜ばしいことだね。そろそろ次の質問に移ります。