disc review羽搏き、零れ落ちる独白、金色の煌めきの尾

tomohiro

煌めきFUJI

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宅録。初音ミクをはじめとしたボーカロイドの隆盛で「一人で音楽を作り切る」ことはそれほど珍しいことではなくなり、今はソフト面の進化も著しく、一人であっても非常に質の高い音楽を完成させることができる世の中になった。

一人であることはまた「独り」でもあり、孤独と隣り合わせに座りながら一つ一つレイヤーを重ねるようにして積み上げられた音楽は、そのそれぞれがぎらついた輝きを放ち、瞳の奥に宿した熱量は作品からあふれ出る。

そんな「宅録」然とした音楽に触れた始まりは何だったか。おそらく思い当たるところではLOWPOPLTD.の『LOWERPOPHIGHERLTD. – EP』がそれにあたるように思う。先鋭的でジャキジャキとしたギターに重なる吐き捨てるような言葉の群れ。それは聞き手の心をざわつかせるような衝動にあふれていて、僕は大変な衝撃を覚えた。

 

それからも多くの「独りバンド」的な音楽に出会い、そのたびにその精巧さ、妄執の虜になった。大きな転機はcolormalとの出会いだった。彼と出会い、インタビューを通じ、彼の音楽性に触れたことは僕にとって、そういった「独りバンド」への興味をより深めていくきっかけとなったものだった。そこからも多くの「独りバンド」と出会った。君島大空笹川真生meiyo中山小町。彼らは10~20年代の宅録世代として一つのシーンのようなものを作り上げていったと思う。

そして昨日、そんな宅録シーンに新たなマスターピースが投下された。昨日だ(これが公開されるのは金曜日だが、木曜日に僕はこの文章を書いている)。それがFUJIの『煌めき』である。すでに年代は進みポストcolormalとでも呼ぶべきか、若い感性に満ちた彼の音楽は、震源地であったcolormalことイエナガのツイートを中心に波紋のように広がり、僕の周りの人間の感性を揺らした。

まずもって耳につくのは、ディストーションに満ちた、攻撃的なギターと随所でコラージュされる「叫び」。まるで諦念と傍観をやるせなさのままに刻み込んだようなその音は、孤独から生まれ出た粗削りの生命力に満ちている。まったく同じジャンルではないと思うが、Nicole Dollangangerの『Natural Born Losers』を聞いた時と同じ、胸に去来する切なさと生命力の瑞々しさを僕は感じた。

また、彼の音楽の白眉な部分は、独白を綴った歌詞にあり、その部分において完全に彼の音楽が新世代足る迫力を持って迫ってくるのだ。耳ざわりの良さもほどほどに、如何に頭に溢れ反響する感性を語るかに重きを置かれた歌メロはドライな口当たりで、メロディに偏重されがちな現代の邦楽において、このドライさを維持したまま聞かせ切るバンドサウンドを処女作にして発揮しているのは、才能と言い切ってしまって何ら支障はないだろう。特に僕の耳に残ったのは#2 “天使の涙”の一節「僕が昨日しようとした独白が今日には変わっていること 何処までいったって言葉は俺らの媒介物でしかない」というフレーズ。これだけ詩として削り上げられた諦念を見ることがどれだけあるだけだろうか?

まだ生まれ出でたばかり、何者にもなれる新しさを持っていながら、すでに明確に「自我」を持って独白を歌うFUJIというアーティストに僕は大変感銘を受けた。彼の音楽がこれからも美しく先鋭で、優しい孤独であらんことを願う。

WRITER

tomohiro

エモを中心に枝葉を伸ばして聴いています。アナログな人間でありたいと思っています。野菜がたくさんのったラーメンが好きです。

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