disc review鉛に沈む、多彩色の蠢動
ArcaArca
ベネズエラが産み落とした現在の奇才、Aphex Twin以来の衝撃とも謳われたアブストラクト・アーティスト、Arcaが”Xen”による衝撃的なデビューを果たしたのが2014年。翌年には”Mutant”を発表し、ますますそのダークでアブストラクトな世界観を深めていったArcaは昨年2016年には、ミックステープ式のニューアルバム、”Entrañas”をフリーダウンロードにて公開。”Reverie”と名付けた新譜をリリース予定とのアナウンスもある中でのこのミックステープのリリースは、ファンを大いに期待させたものだったことは想像に難くないだろう。
“Xen”、”Mutant”の2作で彼が見せたのは、まさに混沌であり、暗澹とした夜明け前の世界の情景であった。ノイズと不可解な機械音が入り乱れ、時として放出される神秘的な音色は、まるで深海に見るサンゴの産卵のように、胎動するようにして、繰り返し繰り返し脈打ち、無機質の中に見える生命がまばゆく燃えていた。それに続くようにリリースされた”Entrañas”では曲を成立させる上で必須に感じられた要素を壊し、瓦礫同士を何度も打ち付けるような「不自然」を音に起こしたようなアルバムであり、創造の過程で生まれ、はじき出されたセンテンスたちの蠢きを感じさせた。そして、それは多くの人の予想の通り、次に産み落とされるアルバムへの伏線でもあったのだ。
かつて”Reverie”であった彼のニュー・アルバムは、”Arca”と名前を変え、本日2017年4月7日に産み落とされた。Atoms for Peace、Friendly Fires、Radiohead、The XXと所属を同じくするXL recordingsからリリースされた今作に、なぜ彼が「Arca」という名前をつけたのか。それはもしかしたらとても単純にレーベルの意向に沿う形の結果だったのかもしれない。しかし、僕はこの”Arca”を聞いた上で、これは彼自身にとっての内面の吐露であり、母胎から生まれ落ちるものであったのではないかと感じた。つまり、このアルバムを持って、彼はこの世に「産まれた」のではないかと、そう思うのだ。そして彼は自分自身に「Arca」という名前をつけた。
“Xen”、”Mutant”に見られた混沌と生命感の入り乱れは、まさに母胎の中での生命の誕生の騒がしさ、そしてそれが形を作り上げていく過程の美しさであり、”Entrañas”は”Arca”に用いられるフレーズの再構築集であり、それはまさに生まれる直前の胎動であり、産道から響く産声であったのだ。そして”Arca”は産まれた。
それは延々と続く、終わりの見えない射干玉色の海である。そこで彼は一人歌う。押し寄せる波はわずかばかりのリズムとバックトラックを彼の歌声に与え、それは時として尖った岩にぶつかりノイズを発する。だがこのアルバムであくまでも主役であるのは、彼の歌であり、エレクトロニックなトラックではない。ここに、このアルバムがこれまでのArcaと全く面影を異にする理由がある。これまでの不整脈のような、発狂的なアブストラクトサウンドとギラギラに研ぎ澄まされた感性のむき出しとは違う、静かな内面の吐露であり、それはある意味最も狂気的なのかもしれない。静かなる狂気、精神性が今作のテーマであると僕は思う。
彼が何を持って自らの声で音楽を表現し始めたのか。今までのリリースからの方向転換の理由はなぜなのか。それは本人にしかわからないことだが、僕はこのように理由をつければ納得いくものを感じたし、このアルバムをそう評することにした。
ついに産まれ落ちたArcaは今後、その四肢をどう軋ませ、どう喉を震わせるのか。今年のフジロックへの参加も決定している彼の今の形を我々は目にすることができる。しかしそれまでは、今のところ、まだ夜明け前の一面の暗澹であり、その本質は透けて見えない。