disc reviewモノクロのフィルターを通じる、扇動的情景と無味乾燥な生死
Guilty of EverythingNothing
新世代型シューゲイザーとでも呼べるような、包み込む轟音とハードコアライクなダイナミックなリズム隊との融合が非常にディストピア的で美しい、アメリカはペンシルバニアの4人組、Nothingの1stフルレングス。元Deafheavenであり、Whirr等でもギタリストを務めるNick Bassett率いるNothingは、Deafheavenが名盤”Sunbather”で提示した、カオティックハードコア、ポストメタルなどのエクストリームミュージックとシューゲイザーとの融合をDeafheavenとは違った切り出し方で実践するバンドである。
前作のEP、”Downward Years To Come”では尺が長く、遠大な作品が多く、轟音にどっぷりと浸かれる作品だったし、掠れる乾いたウィスパーボイスの魅力も存分に味わえたが、ギター自体にはコード弾きやシンプルなフレーズが多く、言い方を変えればそれは冗長とも取れた。そこには同じくNickの在籍する、Whirrの音楽性を少々引きずった感覚も感じられた。しかし、トリプルギターに女性ボーカルを擁するWhirrと比べてしまうとどうしても、その荘厳さ、甘美さには至っていない。そういった前作の雰囲気を払拭するかのごとく、今作では、コンパクトで繊細なフレーズも多く交え濃密になり、幽玄、耽美ともいえる楽曲と、ハードコア、ポストメタルインフルエンスの暴力性をまとめ上げ、Nothingとして独立にチューニングした最適解たるサウンドが堪能できる。
上モノ一本にバッキング一本、ベース一本というスリムさながら、渾然一体となって十分な重音と儚くも煌びやかなメロディとのハーモニーを生み出す弦楽器隊に、「お前シューゲイザー聞いたことないだろ」と言いたくなるくらい、シューゲ感ゼロのパワフルでダイナミックなドラミングが不思議とマッチして、”Doomgaze”と称される世界観を完成させた。また、美しく綴られる歌詞も非常に魅力的で、『lost youth, time spent in isolation』と称されるように切なく、耽美的だ。特にアルバムの最後を飾る#9 “Guilty of Everthing”のラスト大サビで囁くようにして歌われる「My hands are up, I’m on my knees, I don’t have a gun, You can search me please」の一節などは非常に描写的で、情景がありありと目に浮かぶ。抵抗を諦め、地に伏すという歌詞を収録曲最後のしかもラストに持ってくることによる作品の完結感とタイトル、”Guilty of Everything”への帰結には思わず息を飲むし、この後に続く、「I’ve given up, But you shoot anyway, I’m guilty of everything」から想像されるバッドエンドの寝覚めの悪ささえも美しく思えてしまうほどだ。
現在、ここに挙げたようなバンドを中心とした、エクストリーム・ミュージックからのシューゲイザーへの回帰、到達が一つのムーヴメントとして広がりつつある。大家たるAlcestを初めとするシューゲブラック/ポストブラック、メロディックパンク、エモバリバリだったのになぜか突然サイケでシューゲイズな音像にシフトしたTitle Fightなどがその好例だろう。特にAlcestは音楽性やスタイリッシュなスタンスなどに共通するモノも多く、共通のリスナーは多いだろう。今後どう動くかわからないシューゲムーヴメントにも期待はあるが、今はともかく、この轟音に沈むこととする。
(私見だが、スタイリッシュなロゴデザインやジャケットデザインなんかの売り方はTHE NOVEMBERSやPLASTIC ZOOMSと通ずるところがあるように思うので、その界隈のファンもぜひ。最もNothingはライブになったら完全なハードコアなのだが。)