disc reviewさようなら今日という日のわたし
さようならパイオニアpaionia
僕の知る限り最も心をえぐるバンド、paioniaの1st ミニアルバム。まさにWeezerからの影響を隠そうともしないオルタナティブでルーザーなサウンドは、イントロから僕らに眠る負け犬精神を凄まじくほじくり出し、僕らの膝を折らせ、嗚咽させる。ギター、ベース、ドラムのすべてのサウンド、ナイーブで人生に対する諦念、行き場のない怒りをそのままに歌い、時に叫ぶボーカル、一言一句余さず全てに若さが持て余した感情を書きなぐり連ねる歌詞、どこを取っても心に刺さらない場所はなく、まさに、聴き手を逃げ場のないpaioniaのるつぼへと放り込む。しかし、それらのすべての要素に不器用な愛しさが見え隠れし、気づけば暖かな羊水の中へと還ってしまっていたような、後ろ向きの安寧を与えてくれる。人が苦しさを感じた時、そこに手を差し伸べることができるのは決して前向きなものばかりではなく、そこには、時に、そっと隣に寄り添い肩を抱き、静かに頷いてくれるような柔らかな後ろ向きの存在も、必ず、必要とされる。
「今日はもう頑張った、終わりにしてもいいじゃないか。」
paioniaを聴くと、自然と視界にはその日のエンドロールが流れ始める。
#1、”浪人”では、「何もないよ、何もしない 夜明けの机 携帯さえ、余力残ってる」という歌詞一文で脳裏にその情景がありありと浮かび、やらなきゃいけないんだけど、それができないという葛藤が歌われる。
若さに恋焦がれつつもその苦しさに悶え、ついには「若さをそっと殺して この世にきっと溶け込んでいくから」と悲壮ささえ感じる言葉を吐き出す#2、”no youthful”。
「狂ったフリで逃げ回って 本当の自分じゃ戦えなくて 悲しいことを喜ぶ度に もう一生出られなくなってて」「酒気帯びでしか語り合えない こんな虚しい自分てなんですか?」と叫び、嫌いな自分を、それでも捨てきれず存在価値を問う#3、”素直”。
ただただ断ち切れず残り続ける未練たちを歌う#4、”何もできない”は、最後の「さよなら」という言葉でその感情たちと訣別を告げようとする。
#5、”彼女の握る手”。”僕”と”君”に終わりが訪れ、その時間は思い出へと変わろうとしている。いや、変えようとしているし、変えなければいけない。「今、本当の意味で思い出は美化されていく」
僕たちが泣き、怒り、笑い、不器用にも辿り着いてしまった答え。「振り返り誰かを探しても ほら ここにはやっぱり自分しかいないから」
このアルバムの最後を締めくくる#6の”スケールアウト”のラスト一文、「I only believe in lonely myself」という言葉によって、”さようならパイオニア”はあまりに孤独な結末を迎えてしまう。自意識の過剰さがついには己が心に殻を作ってしまった”僕”の結末は、バッドエンドなのか。あるいはそれが彼にとってのグッドエンドなのか。それはこのアルバムを聴くことで確かめてほしい。
素直
スケールアウト