disc review割れたステンドグラス、壊れた賛美歌

tomohiro

4 BombsXinlisupreme

release:

place:

再生ボタンを押すと同時に溢れ出す圧倒的物量、情報量のノイズと、切なく流麗な旋律の暴力的なコラボレーションにより織り成される壊れた物語。アヴァンギャルドなその音楽性の鮮烈さにより、世界的にも注目を受け、Sigur Rósmúmなど、ポストロック、エレクトロニカの巨星を擁するFat Cat Recordsより1stアルバム、”Tomorrow Never Comes”を全世界へとリリースしたのが2002年。それからはフィジカルな作品のリリースはなく、深海に息を潜める。そうして長い冬眠を経て、2012年に日本のアヴァンギャルドでクールな変人の集まり、Virgin Babylon Recordsから現実世界へと落とされたのがこの作品だ。

 

Coaltar Of The Deepersのような、どちらかといえば粗暴で疾走感を伴ったオルタナ然としていた”Tomorrow Never Comes”と比べると、その音像は完全に”変態”を迎えている。、ピアノと電子音、時として靄のかかったボーカルによって紡がれる、胸を引き裂く主旋律と前後左右、上下関係なく全方位から降り注ぐ音階の羅列は、そのどれもに個々の意思が宿っているようにすら感じられる。人は雑踏の中であっても、目当ての声を聞きわけられる優秀な耳を持つが、この音楽を前にすると、そんな両耳でさえ指向性を失い、クラクラとした酩酊のような感覚は、僕らの体から実在性を奪って行く。

 

“Seaside Voice Guitar”でノイズと音階の豪雨の奥に歌われる、ラブソングは素朴で甘く、グルーヴィーなイントロに始まり、突然絶壁から突き落とされるかのようにして目前に現れる旋律が宗教画のような荘厳さすら感じさせる#3、”I Am A New Christ”、電子音楽やゲーム音楽然としながらも、隙を見つけては”泣き”を入れてくる、#4、”Soprano Meditation”など、正直言って全く持って聞きにくいこの音楽たちが、それでもリスナーを集め続けるのは、その根底にある日本人らしいメロディ作りだ。有り体に言ってしまうなら”クサい”とも言えてしまうメロディと、人を寄せ付けないノイズの奔流との融合が、Xinlisupremeの美しさの根源なのだ。

 

「たとえばもし、この世界が夢ならば」

 

Seaside Voice Guitar BC

WRITER

tomohiro

エモを中心に枝葉を伸ばして聴いています。アナログな人間でありたいと思っています。野菜がたくさんのったラーメンが好きです。

このライターの記事を読む