disc reviewmail interview cllctv. meets Aysula

tomohiro

音楽とは、楽曲を聴くことから想像し、感動へ到る流れである


 

 

ツジ:今作”THEORIA”の中で特に印象が強い楽曲はありますか?

ヤマダ:今回トシヤさんが持ってきたフレーズの楽曲から一つの絵画のイメージが浮かびあがり出来たのがM-8「靉光」でした。

aimitsu

靉光:眼のある風景

アルバム全体を通じたコンセプトとしては、歌詞の世界は必ずしも一人称だけでなく、三人称やそれらを跨がる高次元の視点を意識しています。
わかりやすくお伝えすると、特に第三者的視点に立って楽曲を俯瞰するような立ち位置に在り、「靉光」の場合は飾ってある絵画にある「眼」自体が見つめている対面側の情景を想像した楽曲となり、サウンド面でも内容においても助けられた楽曲だったかなと考えてます。
また、SNSやライブを通じて、様々な感想をいただく中で「〇〇のような情景が」「■■した色の激しい洪水で」とかいろんな表現で感想をいただくことも多いですが、実は僕自身がこれまで楽曲に対しての限定的な色やイメージの描写を持つことはなかったんです。

ツジ:敢えて象徴的な語りをしないことで、咀嚼を聞き手にゆだねたかったということなんでしょうか。

ヤマダ:そうですね。限定的な表現とは、楽曲そのもののシチュエーションや安易なイメージを短絡的に定着させることに繋がってしまうと考えています。
音楽とは、楽曲を聴くことから想像し、更なる感動へ到る流れである、と考えれば想像しやすかったのかもしれませんが、簡単にメッセージが伝わってしまうことで音楽の面白みが失われると感じています。

最近の音楽の傾向から共感や賛同を得るために「歌詞のわかり易さ」「反復」「他者への否定」などが表現として多いと感じます。音楽の紀元や元来は「他者への主張」「共通目的の習得手段」「愛情表現」が主になると考えているのですが、これらを今になって「世界は美しい」だの「〇〇よありがとう」だのと簡単な訴えはイヤだなと思ってます。

なので詞に対しては「複雑すぎてわからない」または「日本詞だったのか」と言われることも多かったので、M-11「twelve」の制作過程は半ばメッセージ性に対する諦めの姿勢から作り始めたキッカケの曲になりました。
歌詞が1行だけという構想自体は、前身のバンドの頃から20分位の曲でワンフレーズだけってのがあって、反復もするし、直接的には意味が通らないし、否定も肯定もしないという表現において諦めの塊のような曲です。
そういった意味で、「twelve」はアルバムタイトルの根幹になる楽曲になりました。
ツジ:今回、リリース形式で配信+フィジカルはLPのみという形式ですが、LPにこだわった理由はなんなのでしょうか?

ヤマダ:1st同様にCDリリースも考えましたが、至極単純に「作品のアートワークをより良い形で残したい。」という気持ちがありました。
メンバーもコレクターまではいかないもののプレーヤーは持っていますし、自分も家を購入した際に「ついでにレコードプレーヤーも買っていい?」と程のいい口実ができたので(笑)。

ツジ:僕もAysulaのジャケットは大きなサイズで見たいなと思っていたので、LPが出ると聞き心が躍りました。ジャケットを描かれている河合真維氏の絵には、夢を漂うような柔らかさと、それでも輪郭を失わない確かさとがあって、非常に魅力を感じます。
今作も前作に続き河合真維氏をジャケットに起用されているかと思いますが、ジャケットの制作に関して何かエピソードがあれば聞かせてください

ヤマダ:当時大学生だった河合さんの作品に感銘を受けてからそこそこの年月が経ちました。当時の河合さんの作品はとにかく書き込みと圧がすごくて、蛾や幼虫が蠢く作品に惹かれたのですが、最近では書き込みも線もすっきり削られつつ、ハッキリと作品の存在感があると感じられますね。

暗澹

(河合真維:暗澹)

制作過程は、楽曲を聴いて頂いて河合さんのイメージ像からジャケットを作成していただく流れが多いです。前作の”Release me”においてはEP〜アルバムへの流れがありましたが、初回のミーティングからジャケットの「暗澹」はほぼ固まっていました。
当時、”Release me”のアルバムタイトルを決め兼ねていたのですが、個展展示を兼ねて中開きの作品を制作していただく形となり、そのタイトルが「解放」でした。

解放

(河合真維:解放)

ちょうど僕が気晴らしに聴き直していたEskju Divineの”Release me”というタイトルが偶然にも合致し、決定に至りました。
また、シングルカットとして依頼した際のM-3「roar」では、僕のコンセプトが大まかに固まっていたことから『河合さんが描くライオンが見たいです』とストレートに受けて頂きました。

今作”THEORIA”においては事前にタイトルをお伝えし、ミックス最中であった楽曲から描き起こしてもらいましたが、roarの繋がりからラフ案で犀に決定しました。
なので、今作では河合さんから出たラフ画から、イントロダクションは絶対作ろうと考えていて想起したのがM-1「衛星ヲ通シテ」になります。

ツジ:長く関係性を続けられてきたからこそ、お互いに影響を与え合い、その繋がりによってジャケットも含めた一つの作品になっているのが今作”THEORIA”なんですね。最後の質問になります。ヤマダさんがAysulaを結成されておおよそ10年、その時間は2010年代、テン年代に捧げられてきたと思います。今作において、ヤマダさんが生き抜いてきたテン年代はどのように影を落としていると感じますか?

ヤマダ:やはり震災が起こってからガラリと雰囲気が嫌な傾向に変わったことですかね。嫌な空気感がじわじわと漂う10年だったと感じました。SNS黎明期でもあったので、それぞれの発信がセンシティブで、聞いてもいないのに綺麗ごとで正義感を語る人も多かったし、政治的な混乱や嫌な思想を通じて滲ませてくる事も多かったのではないかと思いますね。
誰もがそれぞれに悩み、それぞれの中で葛藤がある事や沢山の思想が渦巻いて当時は誰が敵で誰が味方だったのかが判らない時期があったと感じます。
今はそういう煩いことに対して「ハラスメント」という言葉が身代わりになって多少は抑えられましたが。
それぞれが大事なんだけど、大抵は主張だけでは響かないし、誰か貶めて自分が上がる主張は殆どが正しさに基づかないと気がついたので。困惑しつつも「俯瞰」が一番正しい距離を作り、正しい姿勢だと徐々に気付き始めたのかなと思います。

一方で、音楽シーンはCDの価値も一層下がる傾向で、歳を重ねるごとに嫌いな音楽がたくさん増えたと感じます。いつの時代でもそうだけど「これは子供向け、これは○○向けだ」なんて卑屈に捉えることから、どんどんとバンドをやることに対してモチベーションが失われていく感覚になってきたこともありました。30代を過ぎると周りの音楽家もポツポツ辞めていくので、これはやっぱり皆が通る道かなと感じますね。僕の場合も何度か感じましたが、音楽ともある程度距離を置き、登山にハマったり、仕事に打ち込んだりしていました。

アルバムタイトルのテオーリアとは、見つめる、見ること、観想。人間における最上級の行動を指しています。テン年代に感じた事柄や生き様からパッと浮かんだことがキッカケです。
ぶっちゃけ、曲を作る過程においてタイトルが一番悩ましく産みが苦しい作業なので(笑)。
「言いたい気持ちを俯瞰し、言葉を飲み込んで来た事柄」に関してのメッセージが強いですが、一概にバイオレンスな要素や否定的なメッセージを込めてはいないつもりです(笑)。是非、音源を手にとっていただき、たくさん咀嚼していただいた上で、様々な面からこの世界を解釈し、見つめて貰えたら嬉しいです。

ツジ:諦念に近い感覚を乗り越え、その先で見据えた世界で頭によぎったテオーリアという言葉。それに思い至ったこと自体が、今作を築き上げるに至る啓示だったのかもしれませんね。そうして生まれた”THEORIA”。まさに他を圧倒する言の葉の荒波が多くの人の心を感動させることを願います。今回はお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。

アーティスト写真

WRITER

tomohiro

エモを中心に枝葉を伸ばして聴いています。アナログな人間でありたいと思っています。野菜がたくさんのったラーメンが好きです。

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